90代になる男性の家に行った今朝。 おら漁師が好きやったもね。そこにちいちゃか(小さい)木の生えとろう?その木から向こう、こん家の目の前はもう海やったっばい。そこに舟がつないであったっばい。家から出て、1メートル。移動はぜーんぶ舟か、里道たい。

おら漁師が好きやったもね。家の前でよう地引網のありよったが、網の中に入っとる魚ば見ればたい、もう、なんとも言われん。学校から帰ったらカバンはブイやって、海に出てみんなの手伝いばした。9歳のときに親父が果ててな。その前もあとも、家のおかずは全部、わがでとりよった。 学校ば上がる頃になってな、母親が俺に中学は行かんで、漁の出稼ぎに行けち言わしたもん。俺は3月生まれやけん12歳か。どげん漁が好きちいうたっちゃ、周りはみんな中学校に上がるもね。学校に行くごたったたい。本当は。俺みたいな子はおらんやったもね。しかし大人に言われたら、聞かんわけにはいかんがな。

小学校までな兵隊の練習ばっかりやったもね。勉強と半々かな。だけん、字な書けんし、読めんやったもね。学校ば上がってからはそのことで、ずいぶん悔しか思いばしたばい。自分の住所なっと書けるようになりたかち思って、だけど鉛筆も紙もなかがな。漁の合間合間にな、浜辺に行って、棒ば拾って、ジダに字ば書いて覚えてね。

もう10年ばっか前になるかな。進学校の先生がうちに来てたいな、話ばしてくれち言わすもん。俺も面ん皮の厚かな、字も書けでおって引き受けて。先生が会場で言わすもん。「どうして学校に行けなかったか話して聴かせてください」ち。おら話すごとなかった。幸せな話ば語って聞かせるととは違うもね。おら本当は行きたかったもね、学校に。それでも仕方んなか。ジダに字ば書いて覚えた話ばしたよ。そしたら子どもが「地面に字ば書いて覚えたという話は聞いたことのあるばってん、実際に書いた人の話は初めて聞いた」ち言うて喜んでな。

泣き笑いの顔をしたAさんに、他にはどげん話ばせらったっですかと尋ねると、潮の満ち引きについての話ばしたよ。どげんやって魚ば見つけるか。今は魚群探知機があるばってんか、昔は潮で魚ば見つけに行きよったもんな。そげん話。そして、川本輝夫さんが俺に言った話たい。昭和7年か8年からチッソは水銀ば垂れ流しよったっばいち。ということはよ?考えてみらんかい。俺は学校前から水銀入りの魚ば食いよったちいうことたいな。という話。

いつも前日にからす曲がりがあった日は一日中寝ているAさん。 長い時間、足がつるとたいな。そげんして全身で足の痛みばこらえておれば、今度はもう片一方の足がつるげな。そげんなると、もう、朝は起きときなれんと。全身がもう、疲れ切ってしもうてな。力は入らんわ、体は痛かと。昨日は久しぶりに何事も起こらず、おしっこにしか起きらずに眠れたもんな。 久しぶりに体調が良かったAさんは、よくしゃべった。一時間以上続くAさんの話は、聞くあいだよりもむしろ、聞いたあとの方が長い。Aさんの言ったことを、考えないわけにはいかなくなる。 行くと必ず、おら、漁師が好きやったもね、と聞かせるAさん。前に二回だけ、息子や娘が俺と同じ症状が出て初めて、俺は漁師になったことば後悔せなんとかなと思った、と話されたことを思い出す。誇りを持って漁師を続けてきたAさんの、はじめての後悔。

Aさんがしたくないと思った話を、きっとそうとは思わずに進学校の生徒に聞かせた先生は「学校に行けなかった」Aさんの、何をこどもたちに伝えたかったのか。泣き笑いのAさんは、こどもたちに「なぜ学校へ行けなかったか」を話しながら何を思っていたのか。

例えば水俣病の人たちは、いつもどんな思いで人前で語るのだろう。わたしは、その人が語りたくないことを、語ってくださいとお願いしてはいないだろうか。

いつか誰かが言っていた、「あげんところで語って聞かせるもんな、語って聞かせる資格のあるもんやもね。網元のコォ(子)やら、地域の長やら分限者(金持ち)やら」という言葉。資格とはなんだろう。大勢の人の前で語るあの人と、たったひとり、私の前で語るあの人は、一体何が違うんだろう。

Aさんの言葉には含蓄があり、どれも大事だと思いながら聞いていると頭がいっぱいになる。いつも人前でどっしりと構えて、人との間に入ったり、人を説得したり、大切なときにだけ意見したりするAさんのことを、私は尊敬したり、すごい人だと思ったり、軽口は決して叩いちゃならんと思ったりする。

だけど、こうして家に行くと、ときどきAさんは自嘲気味に自分を語る。おら字も知らでおってとか、学校も行かでおってとか。私は悲しくなる。字が書けないことは人としてのAさんをちっともおとしめることにはならない、とか、学校は単なるその人の付属品、ということを、どうやって言ったら伝わるんだろうと考えて、結局気の利いたことは何も言えないのだけれど、でもこの地域で生きて信頼を得て、水俣病の闘争を切り抜けて、「患者の不利になることはならん」と言い続け、いまもこうして「漁師が好きやったもね」が口癖のAさんは、きっと十分に自分の価値を知っている。若い私がそのことを簡単に言うことはできないし、言わなくたっていい。私がAさんのことをこうやって、すごいなと思って、心から尊敬していたら。

Aさんと会うと、いつも胸を掴まれたようになる。大事なことをいっぱい教えてもらう。